ニャゴめし酒場

田舎のアマチュア写真家のたわごと

緊急手術からの入院

話しは長くなる

5月31に階段から落ちた

頭は打っていないと当時のブログでも書いたけど、近場の整形外科に行ったときには頭を打ったということにしていた

ところが、レントゲンでも打った形跡は見つからなかったのに、日に日に頭が痛くなって終いには6月、日赤でCTを受けることに

その時は脳の一部に血の塊のようなものが見えると言われたけど、異常があるのか生まれつきそうなのか判断できないと告げられた

なので経過を見るために3カ月後にも行くことになった

なのに3か月に満たない2カ月後くらいから、普通ではない頭の痛さを感じるようになった

最初は熱中症かも、っていうか熱中症だろうと信じて疑わなかった

けれど8月の終わりごろから涼しくなり始めて、熱中症を疑うには不自然に思えた

頭が割れるようで刺すようで、鈍い痛みが押し寄せては引いていくのくり返しだった

それを眉間にしわを寄せてこらえてた

 

そして我慢しつつも再検査日の9月17日がきた

いつもと変わらずいつものノリで日赤に出かけると、まずCTを撮られた

いつもの先生が画像を見て、慌てた素振りで別の先生を呼んだ

なぬ?その瞬間自分は不安になった

そして別の先生からCT画像を見せられ説明があった

病名、慢性硬膜下血種(左)←この病名は後から判明したんだけど

6月に見せられた血の塊は血の海と化して左から右脳に攻め込み、きちんとした右脳左脳のポジションがずれるほどだった

素人見でもわかった

そして脳の萎縮も一部見つかった

ガーン、頭が真っ白になった

そして今すぐにでも手術しないといけないと判断され、家族を呼び出し同意してもらい緊急手術と相成った

心の準備もできていないのに、手術となったら後々に必要になるものがあるのに何も用意していない

先月、ネットや家の回線ががひかりに変わるというので、工事しやすいようにいろんな家具やらを移動してた

シルバーウィークにあれこれ掃除がてら片付けをすればいいやと思ってたのに

ここへきて手術かよ

猫の面倒は誰が見るんじゃ?

役所にも行く用があった

予定がすべてパーになった

 

いろんな不安があるなかで、坦々と粛々と手術の準備は進んでて、あれよあれよという間にストレッチャーに乗せられ手術台に

テレビでよく見る煌々と照らされた患者だけが居れるステージの、あの場所に自分が寝かされている

体を拘束されるわけじゃないけど、かなり固定はされて身動きは取れない

『手術の目的は、脳を圧迫している血種を洗い出します

方法は局所麻酔のもと、皮膚切開を加え、骨に穴を開けます

チューブを入れて、血種を洗い、皮膚を縫合して、手術は終了です』

という内容の手術

いよいよ、髪がビショ濡れになるほど消毒されてから後、一部の髪を剃って(剃るのが先だったかな)先生は作業の手順を説明しながら進めていった

よくよ~く聞かされていたので、あぁ今切ってるなとか、何か掻き出してるなとか、洗ってるなとかの音が耳によく聞こえ、痛さも時折あって局所麻酔って痛さも音も聞こえるんだな

どこが麻酔だか

最後は医療用ホチキスでガシガシされて、まあまあ痛かった

先生の声もしっかり聞こえてて、安心感はあった

最後だけ少し眠れるような薬を混ぜてくれて、術後は一瞬眠ったけど、先生にカタコトの日本語で「先生、命の恩人」と、泣きはしなかったけどそれを言わずにいられなかった

他にも「先生、最後はホチキスで留めたでしょ」「縫ってたのもわかったよ」「先生の声や手術の音が全部聞こえてたよ」と会話もできた

その日はチューブを入れつつ、痛みも感じず自然に眠ってた

 

翌朝、チューブからは余分な悪い血が袋の中にずいぶん溜まっていた

500のペットボトルの半分も出たのかなぁ

さらに半日、血を出し続けるけど、今度はまっすぐの体制のままでいられなくなって苦しんだ

そうこうあって寝がえりはできないにしろ、心が晴れてくる気がするし体も楽に感じた

悪血がなくなったおかげだ

チューブを抜いた日、ニューっと抜かれてる感が頭にあって、最後はホチキス留め

麻酔も何もなしでいきなりガシッとだったので、現在の医療はサディスティックだなぁと感じた

その後は止血剤や抗生剤の点滴があったり、血液検査があったりで、毎日注射針を刺されてた

注射類が終わると血圧だの熱だのをしつこく測られて、今もその行為が続く

術後から4日後には元気になった気分だけど、病気の影響で脳が関係してるので、後遺症が残るほどではないけど若干のマヒがあるようだ

体がふらつくとかまっすぐ歩いてないとか

筋力も元々ないので改善するために、リハビリ技師がしばらく付き合ってくれるらしい

最近の医療は無駄に時間をかけないことは知っている

日帰り手術なんて言葉も聞き慣れてしまった

自分の手術も30分程度で終わったようで、怖いと感じる隙もなく先生の手際の良さに感謝し、日々過ごすことにした

 

入院3日目、19日の土曜

ずいぶん調子がよくなった

入院することにも余裕が出てきて、この日から病院の食事やら窓から見える景色やらをスマホで撮り始めた

日赤の5階の一人部屋病室から見た夕方の東の風景

窓越しからだし、せっかくなら一眼で撮りたいところだけど、自分の動きは制限されてる

トイレに行くときにはナースコールを鳴らして、看護師が来たらどのような行動をするのか言わないといけない

ほとんどがトイレに行きたいことだけだけど

ベットもセンサー付きでふとしたことで立ち上がっただけで、警報のような音が鳴る

なのでウザいので、バタバタしたい時は折りたたみイスがあるのでそこで時間を過ごす

窓辺にいると軽く日光を浴びられるし、景色を見ることもできて気が紛れる

上から町の人々の動きや車の動きを見てると飽きないこともある

 

入院4日目、20日の日曜

だいぶん体調が戻ってきたと、自分では思ってる

でも看護師やリハビリ士に言わすと、まだ不安要素があるらしい

チクショウ、飲み物も買いにいけないじゃん

この日は1人部屋から4人部屋へ代わることとなった

自分以外はお婆さん、おばさんの2人がいてあたらずさわらずの距離でいたい

日曜日ということでか食事は、メインにタンドリーチキン、デザートにオレンジゼリー

そしてなぜか、ゴボウとニンジンの煮もの

バランスはさておき、初めて美味しかった

だいぶん残さずに食べられるようになった、が、やっぱり量が多い

この日から家で使っているパソコンを病室で使っている

Wi-Fiが使える病院でよかった、こうなると病院にいる苦痛さが少しは緩和され、社会とつながっている気分になって余裕が持てた

久しぶりに採血があった

今まで何本注射針を打たれたのだろう、一生分だな

夕飯

 

入院5日目、21日の月曜

巷の人は敬老の日で祝日をエンジョイしてるだろうけど、自分は土日も祝日も今は関係なく、病院という名の牢獄にいる

メインのナースステーションから少し離れたので、勝手に自由に歩いてたら

なんと目の前に松江城

これは退院したらまず寄ってから家に帰ろう

こんな時、一眼レフカメラがあったら最高だったけど、一眼はこの次だ

といっても、駐車場の関係で車で行くのは気が引ける、田舎なのに観光地のせいか駐車代をとる、どこに停めていいのかもわからないし

歩いて行ける時はチャンスなのに

どうせ退院したって定期的にCTとか受けないといけないので、万全な体になって一眼は次回に回そう

それまでに腕を上げていい写真が撮れるようにしておきたい

にしても前にあるパチンコ屋かなんかの立駐がジャマだ、絵にならない

どこから見てもサマになる城であってほしい

今日は5日ぶりで首から下のシャワーができるらしい

どうせなら頭から行きたいけど、抜糸もまだだし脳に悪い菌が入るとダメなので仕方がない

今週の金曜日に美容院を予約してるので、それまでには頭も洗えるようになっているはずだ

体はまだ良しとして、頭はいい加減洗いたい

今が汗だくの真夏じゃなくてよかった

手術の次の日の画像

消毒液は髪を固める成分があるのか、髪が立ってファンキーな風貌になった

束になって固まってる、これは洗わないと解消できない

この髪で通路を歩いても何も言われない

若い娘だったら必死で水を付けて髪を戻そうとするだろうけど

 

【手術以前】

酷い頭痛が頻繁にあった(ここ5、6年は特に)

つじつまの合わないことを言ったり、言ったことを忘れる

記憶が飛んだり記憶喪失になる

死んだほうがまし、死んでもいいと思う

何が(誰が)どうなろうがどうでもいいという気持ち

誰とも話したくない、関わりたくない、他人のことはどうでもいい

気力が出ない、やる気になれない

 

【手術以後】

今は手術以前のことがどれも信じられない

なるべく話して人と関わって積極的になりたい

 

手術以前と以後を比べると気持ちが全く逆

昔は負の自分だったけど、今からは正の自分でいられそう

それだけ脳に溜まった悪血はあちこちに悪さをしてくれたんだと思う

悪血は怨霊で、それがこの度、流れ落ち消えたのだと思う

それぐらい自分の体が軽く感じる

再発の可能性はゼロではないらしいので、完治してほしい